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商品詳細
ドゥシャス・チェリー 瓶330ml
Duchesse Cherry
Duchesse Cherry
まるでグラスで味わう手作りサワーチェリーパイのよう — 甘く、酸っぱく、満足感たっぷり。
【2026年サワー祭限定商品】
美味しいものを変えることはしない。この概念のもと、ドゥシャス・デ・ブルゴーニュは造り始めてから一度も姉妹商品を造ってきませんでした。しかし、本当に美味しいものを作り出したとき、その考え方は意味をなさなくなります。そして2018年、ドゥシャス・チェリーが誕生しました。
ドゥシャス・チェリーは、伝統的なサワー・レッド・エールのドゥシャス・デ・ブルゴーニュをオーク樽で熟成している段階で、添加物を使用しないサワーチェリーを混ぜ込みます。これにより、繊細な甘いバニラと木樽の風味を持つ美しいワインのようなルビーレッド色のサワー・フルーツ・ビールができあがります。パッションフルーツとレーズンのような味わいの特徴がありますが、簡単に言えば、その特徴は全てチェリー由来です!
ドゥシャス・チェリーはドゥシャス・デ・ブルゴーニュが持つ酸味とレッドフルーツの味わいがより強調されています。自家製のチェリーパイを思わせるドゥシャス・チェリーは、ドゥシャス・デ・ブルゴーニュと同じように美味しいです。たった一つの違いは、沢山のチェリーが入っています!
詳細スペック
| ビアスタイル | フルーツ・ビール |
|---|---|
| 色 | レッド |
| 発酵タイプ | 複合 |
| 原材料 | 麦芽、ホップ、糖類、さくらんぼ |
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ヴェルハーゲ醸造所
醸造所と製麦所はアドルフ・ヴェルハーゲ(Adolf Verhaeghe、1851-1918)とポール・ヴェルハーゲ(Paul Verhaeghe、1860-1936)のふたりの腹違いの兄弟によって1892年に始まりました。アドルフはほどなくして醸造・製麦ビジネスから退き、石炭取引や農薬、石工所といった自分の他のビジネスや地方政局に専念しました。
醸造所の立ち上がり時期にポールは、義理の兄弟であるフレデリック・ヴァンデルハーゲ(Frederic Vanderhaeghe、1844-1923)に手助けをしてもらいました。
フレデリックはゲント出身の醸造技術者一家の息子でした。 醸造所や製麦所は完全な石造りで、アドルフの石工所からの石が使われました。
醸造所周辺の家々の建築にもこれらの石が使用され、そういった家はパブとしても土地の人に貸し出されていました。
こんなやり方で醸造所は地域での消費を確保していたのでした。
ビール造りに使用する小麦は周辺の農地から持ち込まれていましたが、その農地もまたヴェルハーゲ家が所有していました。
当然ながら、醸造所の最初の客層は殆どが近辺に住んでいる農家の家族でした。
後になって、首都ブリュッセルへの鉄道線路の近くに建っていたという戦略的な位置がこの醸造所発展のきわめて重要な要素となり、客層の地盤が醸造所近辺の枠を越えて拡がっていくことになりました。
第一次世界大戦の勃発が、醸造所の発展に突然ストップをかけることになりました。醸造所は、ポールがドイツ軍へのビール醸造を断った後ドイツ占領軍によって完全に取り壊されてしまいました。
戦争の弾薬製造材料として銅製品を再利用する目的から、他の多くの醸造所の醸造設備もまたドイツ軍によって持ち去られました。
1937年にレオンとヴィクター・ ヴェルハーゲ(Leon & Victor Verhaeghe)が、彼らの父親がやっていた醸造-製麦ビジネスを再開しました。
ふたりの兄弟は共に、よその土地の醸造家一族から娘をお嫁さんに貰い、操業を強化してゆきました。
その後、第二次世界大戦の勃発によって二度目の災難に見舞われます。麦芽の総体的な不足から、醸造所はアルコール度数0.8%といったような非常に軽い、いわゆる「ゼロ・ハチ」(zero-huit)と呼ばれたビールを醸造できたにすぎませんでした。
醸造所が所有するパブの多くもまた、すさまじい爆撃によって商売どころではありませんでした。
戦後、市場ではピルスナータイプのビールが一層その存在を強めていましたが、ヴェルハーゲ醸造所は上面発酵ビールに特化し続けました。
1960年代中頃以降から、もっともっと多くの人々が地方に深く根ざしているオリジナルなビールの味を再発見しつつありました。この新たな市場傾向が、西フランダース地方の典型的な産物である、伝統的な赤褐色のエールビールの生産に主体を置くことで、醸造所の発展に前向きの衝撃をもたらしました。
現在、醸造所はカール・ヴェルハーゲ(Karl Verhaeghe)と彼の姉妹によって経営されており、年間生産量は6,500HL見当になっています。