日本で暮らすベルギー人として、これまで地元の方々から数え切れないほど質問を受けてきました。「ベルギーってどこ?」「チョコ以外に何が有名なの?」「『ベルギー語』って話せるの?」「なぜそんなにかっこいいの?」・・・・・・(最後の質問は、少し盛ったかもしれませんが)。
そして、時々必ずこう聞かれます。「ベルギーで一番恋しいものは何?」 日本に住むすべてのベルギー人は、同じ答えを口にします。チョコレートでも、ワッフルでも、ましてやビールでもありません。答えは「パン」です。
単なる食べ物以上の存在
ベルギーに足を踏み入れたら、すぐに気づくはずです。パンはただの食べ物ではありません。日々の儀式であり、静かなこだわりであり、時には熱い議論の的にもなる存在なのです。
ベルギー人は、朝食にただの食パンを食べるようなことはしません。近所のパン屋(Bakker)へ行き、目移りするほどたくさんの選択肢から選ぶのです
- Wit brood(ホワイト・ブレッド): ソフトでほのかに甘く、サンドイッチに最適。
- Bruin brood(ブラウン・ブレッド): 少し歯ごたえがあり、麦芽の風味が香る。
- Volkoren brood(全粒粉パン): 密度が高く栄養満点。非常にこだわりを持って作られる。
- Meergranenbrood(マルチグレイン・ブレッド): 様々な穀物や種子を混ぜ込んだ栄養たっぷりのパン。噛みごたえがあり、奥深い味わい。
神聖な日曜日
ベルギー人のパンへの愛情が最も表れるのは、日曜日の朝の家族の食卓です。 普段は行列を好まないベルギー人ですが、日曜日の朝は別。近所のパン屋で30分並ぶのは当たり前の光景です。それは「鮮度」という代償を払っているから。パンは焼きたてが一番で、その日のうちに食べるのが鉄則です。多くのパン屋が売り切れ次第早じまいするのは、パンを「数日置くもの」ではなく「常に新鮮なもの」と捉えているからです。
日曜日の朝食は、焼き立てのパンや「コーヒークッキー(Koffiekoeken)」、コーヒー、紅茶、そして日曜の朝の主役である「ピストレ」が並ぶ、さながらパーティーのような食卓になります。
ピストレの種類:
- Witte pistolet(ホワイト・ピストレ): 外はカリッと、中は驚くほどふわふわの定番。
- Tijgerpistolet(タイガー・ピストレ): 表面がひび割れており、虎の模様に見えるパン。
- Keizerpistolet(エンペラー・ピストレ): ホワイト・ピストレより密度が高く、上に星形の模様がある。
- Sesam-pistolet(ゴマ・ブレッド): 香ばしいゴマをまぶしたパン。
そして、ベルギーで「サンドイッチ(Sandwich)」と呼ぶものは、世界でイメージするものとは少し違います。これは、少しミルクの香りがする、楕円形の柔らかいパンのことです。ホットドッグ用のパンに近いですが、質感や甘さの加減は様々です。

>>直訳すると「コーヒークッキー」ですが、実際はコーヒーと一緒に楽しむ伝統的な甘い菓子パンのことです。デニッシュのようなバターたっぷりのサクサクした生地に、カスタードやチョコレート、レーズンなどを包んだもの。まさに日々のパンの「甘い親戚」であり、日本の菓子パンのように、形や味のバリエーションが無限にあります。
選ぶ楽しみにあふれた食卓
パンが土台なら、上に乗せるトッピングはベルギーの食卓を彩る主役です。一般的な家庭のテーブルには、1~2種類の選択肢なんてありません。まるで宴のような光景が広がります。
- バター: 必須。本物かどうかはすぐにバレます。
- ジャムとハチミツ: 数え切れないほどの種類。
- チョコペースト: ダーク、ミルク、ホワイト、ミックスなど(ベルギーですからね!)。
- チーズ: 多種多様で非常に奥深い。
- シャルキュトリー: ハム、パテ、各種ソーセージ。
- 惣菜サラダ: ツナ、肉、卵など。
朝食や昼食は、自分だけのビュッフェになります。その時の気分に合わせて、層を重ねるように自分だけの組み合わせを作るのです。どんなに豪華なトッピングを乗せても、パンの質が譲れないのは、それが食文化の文字通りの「土台」だからです。
パンからビールへ・・・自然な流れ
さて、お待ちかねのビールとパンのつながりについてです。ベルギーといえば何と言ってもビールが有名ですが、パンとビールはどちらも国民の誇りであり、その関係は想像以上に深いのです。
- 「液体パン(Vloeibare Boterham)」: ベルギーでは、ビールを「液体サンドイッチ」と呼ぶことがあります。かつて、汚染された水よりもビール(特に軽めのもの)の方が安全で栄養価が高いとされていた時代からの名残です。労働者の日々の食事に欠かせないエネルギー源だったのです。
- 修道院とトラピストビールの遺産: 修道士たちは、楽しみのためだけでなく、命をつなぐための糧としてビールを醸造していました。断食期間中、固形物を制限されている間、この濃厚でモルトの効いたビールが栄養を補給していたのです。まさに「飲めるパン」でした。
- 共通の哲学: ベルギーのパンと修道院ビールは、同じ哲学を共有しています。「伝統への敬意」「シンプルな材料を完璧に仕上げること」「職人技への日々の感謝」。一方が体を満たし、もう一方が心(と、実質的にも体)を満たすのです。
トッピングから材料へ
ベルギーの朝食の食卓を思い出してみてください。ベルギーの醸造家たちは、ビールづくりにも同じような精神で向き合っています。水、麦芽、酵母、ホップというシンプルなベースに加え、様々な材料を加えるのです。
- ハーブとスパイス: ホワイトビールのコリアンダーやオレンジピールなど。
- フルーツ: クリーク(チェリー)やフランボワーズ(ラズベリー)など。
- 糖類: テクスチャーやアルコール度数を調整するため。
- 野生酵母: 複雑で独特な風味を生み出すため。
これらを加えることで、パンにトッピングを重ねるように層ができあがります。しかし、そのベースとなる土台がしっかりしていなければ、すべて台無しになってしまうのです。
ビール × パンの組み合わせ
パンとビールを合わせるなんて、と驚くかもしれませんが、これぞ天国のような組み合わせです。
- セゾン・ビール: 軽やかなセゾンビールは、シンプルなサンドイッチ(日曜の豪華なものではなく、マルチグレインパンにチーズと野菜を挟んだようなもの)に最高に合います。「セゾン1858」にレタス、チーズ、キュウリ、トマトを挟んだサンドイッチを合わせてみてください。きっと驚くほど美味しいはずです。
- トラピスト・ビール: 修道院は自給自足で有名です。彼らは有名なビールの傍らで、パンやチーズ、牛乳も自分たちで作っています。例えば、ウェストマーレ修道院の「カフェ・トラピステン(Café Trappisten)」に行けば、絶品のチーズサンドイッチと世界的に有名なビールを出してくれます。私の個人的な「ボターハム(パン)」のベストペアリングは、「ウェストマーレ・ダブル」です。
>>日曜日の朝からお酒を飲むのかって?……いえ、厳密には違います。
しかし、日曜日の朝食は驚くほど時間がかかるものです。食べて、コーヒーを飲んで、さらに食べて、また食べる……そうしているうちに、朝食は自然とランチへと流れていきます。リラックスした日曜日のランチにビールを一杯、なんて、それほど不思議なことではないと思いませんか?
次にベルギー人と会うときは、パンの世界について話してみてください。きっとすぐに尊敬の眼差しで見られるはずですし、ひょっとすると彼らが「液体パン」を一杯ご馳走してくれるかもしれませんよ。



